フィレンツェに学ぶ「コモンズの建設」
- 幸一 上林
- 21 時間前
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フィレンツェの大聖堂(ドゥオーモ)サンタ・マリア・デル・フィオーレは、「Opera Project(オペラ・プロジェクト)」と呼ばれる建設方式によって建てられ、現在も同じ仕組みで維持・管理されています。

Opera(オペラ)の本来の意味
「オペラ」は音楽の声楽劇として知られますが、語源はラテン語の opera(オプスの複数形)で、「努力・労力・仕事・奉仕」を意味します。 イタリア語では opera は「建設事業体」「工房組織」「維持管理財団」を指し、公共建築の運営母体を意味します。
市民によるコモンズの建設と維持
1331年、サンタ・マリア・デル・フィオーレの建て替えに際し、「Opera del Duomo」が設立されました。運営資金は市民の税金と寄付によって賄われ、建設・改修は数世紀にわたって続きました。
このドーモの建設では、1418年にクーポラ架構の設計競技が行われ、ブルネレスキの模型案が採用されました。ブルネレスキとギベルティは工事監督として、構造設計と施工技術の革新を進め、完成までその模型を市民に公開しました。
現在の外観は19世紀(1887年)に行われた市民公開コンペによるもので、最終的なファサード完成まで約400年を要しています。
同じくフィレンツェのサン・ロレンツォ教会は未完のまま煉瓦造の姿を残し、ボローニャのサン・ペトローニオ聖堂も下半分だけが完成しています。

これらの例は、建築が世代を超えて継承される「コモンズ」であった証といえます。
ブルネレスキの革新 ― 建築家という職能の誕生
ブルネレスキの功績は、建築を数学的秩序に基づく設計行為へと高めたことにあります。彼は平面図・断面図・立面図・作図型透視図といった図法による設計手法を確立し、経験や感覚に頼る工匠の技術から脱却しました。
装飾も感覚的な過剰装飾を排し、構造と装飾のミニマルな均衡を追求しました。
これにより、ブルネレスキは「建築家」という職能を確立し、図面と模型による理性的なデザインの時代を切り拓いたのです。

ブルネレスキのもう一つの傑作 ― オスペダーレ・デリ・イノチェンティ
ブルネレスキが設計したもう一つの代表作が、オスペダーレ・デリ・イノチェンティ(Ospedale degli Innocenti)です。
1419年に着工し、1445年に完成したこの建物は、ヨーロッパ初の孤児院(養護院)として知られています。
当時、入口には「回転台」が設けられ、親が育てられない赤子を匿名のまま預けられる仕組みがありました。養護院では赤子に洗礼を授け、教育や職業訓練を施して、成人後は社会へと送り出しました。
建物の正面にはブルネレスキ設計によるロッジア(列柱廊)が並び、後に広場を囲む教会や建物もこの様式を踏襲したことで、統一感のある都市空間が生まれました。

このデザイン手法は後にミケランジェロがローマのカンピドリオ広場を設計する際にも継承され、ルネサンス都市デザインの原型の一つとなりました。
Opera Project という理念
ドゥオーモやオスペダーレのように、都市の建設や修復が世代を超えて続けられることは、かつてのヨーロッパでは当然のことでした。
建設時には「Opera」と呼ばれる共同体的組織が設立され、設計・資金・管理の全てを慎重に進めました。
私たちは、この「時間をかけて市民が共有の資産を築く文化」を現代に再生しようとしています。
つまり、地域の生活基盤を市民の手で再建する取り組みを「Opera Project」と呼び、現代のコモンズづくりの象徴とするのです。



