Victorian London — industrialization and colonial expansion
- 幸一 上林
- 2025年11月11日
- 読了時間: 4分
更新日:2025年12月2日
Victorian London、すなわち19世紀のロンドンは、**industrialization and colonial expansion(産業化と植民地拡張)**によって形づくられました。

出典
タイトル:"[Cheapside, London, England] view, photochrom print postcard."
出版元:Detroit Publishing Co., 1905(1890年代撮影)
所蔵:Library of Congress, Prints and Photographs Division
ロケーションタグ:「Cheapside」および「City life, London, 19th century」

綿布がもたらした“作れば売れる”時代
「industrialization and colonial expansion」を推し進めた最大の要因は、当時インドで生産されていた**綿布(cotton cloth)**でした。
その肌触りの良さと着心地の快適さは、当時のヨーロッパで圧倒的な人気を博し、綿製衣料の需要を爆発的に拡大させます。
この需要を背景に、「作れば売れる」という空気のなかで、イギリス国内では綿布や綿製品を製造するための機械が次々に開発されました。
紡績機、糸巻き機、蒸気機関、そして輸送を担う蒸気機関車まで、まさにイノベーションの連鎖が生まれたのです。
貿易によってもたらされた綿布の流通は、イギリスの産業化を一気に加速させました。
ロンドンをはじめとする都市では、大量生産の工場が次々と建ち並び、生産量の増大が価格を下げ、さらに需要を拡大するという好循環が続いていきました。
人口爆発と都市の変貌
こうした工業化の波にのって、ロンドンの人口は急増します。
近郊の農村から多くの労働者が流入し、18世紀から19世紀にかけて前代未聞の人口爆発が起こりました。
かつて15世紀には「田舎都市」にすぎなかったロンドンが、わずか数百年のうちに世界最大の都市へと変貌していったのです。
この時期に、現代ロンドンの原型が形づくられました。
すなわち、富裕層・経営層(ブルジョワジー)が住むWest Endと、労働者階級が暮らすEast Endという二極構造です。


スラムと優雅な街並み
農村から流入した労働者の多くはEast Endに居住しましたが、その生活環境はきわめて劣悪で、やがてスラム街を形成していきました。
一方、West Endには富裕層や経営者層が集まり、100〜140メートルグリッドの整然とした街区が広がる、美しく豊かな街並みが形成されました。
その代表的な地区が**Mayfair(メイフェア)です。
この地区の大部分はGrosvenor Estate(グロブスナー・エステート)**と呼ばれ、グロブスナー家が所有する土地でした。
彼らは18世紀に約200エーカー(約80ヘクタール)の敷地を計画的に開発し、今日に続く街並みの骨格を築いたのです。
タウンハウスと貴族社会
この街区には、下図のように**タウンハウス(Town House)**が並んでいます。
タウンハウスとは、一家族が一棟を所有する都市型の連続住宅のことです。
多くのタウンハウスは、公園を中心に整備された街区に面して建てられ、裕福な階層がその周囲を取り囲むように居住していました。
街区の裏側には馬車が出入りできるサービスロードがあり、そこには**ミューズ(Mews)**と呼ばれる馬小屋と使用人の住居が併設されていました。
表のタウンハウスにも屋根裏部屋などに使用人が暮らしており、上流階級と従僕たちが共存する都市住宅の典型でした。
入居者は、貴族階級の都心邸宅としての利用のほか、いわゆるジェントリ(Gentry)—貴族の次男・三男や新興ブルジョワジー—が多く住んでいました。
産業化による新興富裕層の増加は、タウンハウスの需要をさらに押し上げ、「建てればすぐ入居者が決まる」時代を生み出していました。
ロンドンの地主とリースホールド
広大な都市土地を所有していた貴族は**Landlord(地主)**と呼ばれ、一般に100〜500エーカーもの敷地を所有していました。
彼らは土地を売却せず、**Leasehold(借地権)**によって貸し出し、その地代収入だけで暮らすことができたのです。
この仕組みが、ロンドンの上流社会と都市構造を長く支える経済基盤となりました。
クラブ文化と思想の温床
West Endには、現在も多くの**英国式クラブ(Gentlemen’s Clubs)**が存在しています。
これらは会員制の談話室であり、会員同士が紅茶を飲み、食事を共にし、議論を交わす場所でした。
入会には既存会員の推薦と承認が必要で、各クラブには独自の理念と規律がありました。
このクラブ文化は、やがて知的交流と革新の温床となります。
ここから多くの文人や思想家、科学者、発明家が生まれ、結果としてindustrialization を牽引し、colonial expansion を加速させる原動力となっていきました。
会員の中には、チャールズ・ダーウィンやチャールズ・ディケンズ、さらには芸術家ロダンらも名を連ねています。
これらのクラブは、イギリス文化の精神的基盤とも言える存在だったのです。


